M205系9500番台
(麻帆良線)
編成 15両(11M4T・9M6T)
10両 (8M2T・6M4T)
5両 (3M2T)
6両(4M2T)(3M3T)
4両(3M1T)
起動加速度 3.5km/h/s
営業最高速度 180 km/h(軌間1067mmは160Km)
設計最高速度 200 km/h(軌間1067mmは180Km)
減速度 4.0 km/h/s(常用最大)
5.5 km/h/s(非常)
車両定員 162名(中間車)
147名(先頭車)
90名(グリーン車)
最大寸法
(長・幅・高)
20,000 × 2,950 × 4,140 (mm)
車両質量 31.1 t(付随車)
33.3 t(電動車)
36.1 t(グリーン車)
軌間 1,067 mm 1,435mm
電気方式 直流 1,500 V(架空電車線方式)
主電動機 かご形三相誘導電動機
MT74形 120kW
歯車比 7.07
制御装置 SC71形VVVFインバータ制御 (IGBT)
駆動装置 中空軸平行カルダン撓み板継手方式
台車 円錐積層ゴム式
DT70・TR235系
サロM210形はヨーダンパ付
ブレーキ方式 回生ブレーキ併用電気指令式ブレーキ
直通予備ブレーキ
抑速ブレーキ
耐雪ブレーキ
保安装置 ATC (全路線)
製造メーカー 東急車輛製造
川崎重工業
日本車輌製造
日立製作所
近畿車輛
東日本旅客鉄道大船工場
(現・鎌倉車両センター)
麻帆良学園都市重工業鉄道車両開発部
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JR東日本

205系 導入の経緯


1981年(昭和56年)より、103系に代わる省エネルギー通勤形電車として量産が開始された201系は、量産中にも様々なコストダウンを図りながらも1,000両を超える増備を行ってきた。しかし、核となる電機子チョッパ制御の製造コストが非常に高価で、当時財政的に厳しい状況に置かれていた国鉄にとっては、より大幅なコストダウンの図れる車両が必要な状況にあった。この時期には111系・115系などの老朽化置き換えを目的とした次期近郊形車両(現在の211系)用として開発していた「界磁添加励磁制御」方式を実用化に向けて試験を行っていた。また、同車には新開発の軽量ボルスタレス台車や軽量ステンレス構造、電気指令式ブレーキの採用計画などを進めていた。

その後、1984年度に1985年(昭和60年)3月のダイヤ改正において横浜線・武蔵野線の輸送力増強用を行うこととなり、山手線からこれらの路線へ103系を捻出するための通勤形車両が必要となった。この時点で既存の201系を山手線用に増備するのか、新形式車両を投入するかが迫られていた。そして、最終的には1984年(昭和59年)6月末に次期近郊形車両用のシステムを使用した通勤形車両として本系列の製造が決定された。乗務員訓練時期を含めたダイヤ改正の前に落成する必要性から、翌1985年1月末に第1編成の落成が決定され、デビューまでわずか7ヶ月という非常に短期間で設計・製造が進められた。

なお、当初の国鉄における計画では首都圏全体の置き換え計画があり、山手線に次ぐ投入線区として中央・総武緩行線に集中投入する計画であった。

概要

205系5000番台は、都心路線へのE231系投入により他線区に転用されることになった205系のうち、武蔵野線に使用される車両の勾配対策として、中間電動車をVVVFインバータ制御方式に改造して粘着係数を向上させた車両です。そのため本来は、この改造が施された中間電動車のユニットを指す形式名であり、先頭車や付随車は従来の車両をそのまま使用しています。
平成14年(2002)3月に、最初の2編成の投入が行われ、従来の武蔵野線のラインカラーどおり、ブラウン・ホワイト・オレンジの3色のストライプを施して登場しました。そのときはドア窓が標準サイズの中央総武緩行線用の205系が転用されましたが、第3編成からはドア窓が小形の山手線からの205系となり、早くもラインナップにバリエーションを生じました。武蔵野線には引き続き205系5000番台の投入が続けられ、在来の103系の淘汰が進んでいます。



MTR (Mahora-Transportation-Railway) 麻帆良学園都市鉄道